第61回 活動報告
【活動報告】第61回 あおぞらの輪
私たちの背後には,無数の物語が河川のように流れている.その物語たちの潮流は,それこそ普段は意識の底に隠れている.しかし時折,私たちが認識している世界を「意味」によって色付け,私たちの意思・判断・決定を後押ししてくれる.本来は無意味であったはずの世界に色が灯り,私たちを一時「退屈」から解放してくれる.自分の選択に対する納得感を支えてくれている.世界が退屈なものではなくなる.
しかし一方で,物語は私たちを縛りもする.私たちは私たちの信じている物語からなかなか降りることができない.周囲の人間たちが信じていたらなおさら.「家族」や「友達」,「職場の同僚」などは最たるものであろう.物語は繋がりの中で強度を帯び始めた時,それはコミュニケーション上の「価値観の押し付け」に様相を変えていく.「普通」「常識」「当たり前」「前提」似ている言葉はたくさんあるが,そんな言葉たちに傷を受けてきた人たちは少数ではないだろう.逃れることすら許されず,心と身体を置き去りになってしまうケースを何度も見てきた.
「物語」は人を、しあわせにするのか?
年月をかけて,人と向き合い続けてきた高校時代からの友人Oくん.いつもよりも大所帯の参加者たちに向けて投げかけた問いである.朝井リョウさんの「メガ・インザ・チャーチ」()を読んでいる内に,みんなに問いかけてみたくなったらしい.今回の哲学対話は,たっぷり1時間程度,この問いを中心に対話を行った.それこそ全員で,深い海の中を潜水するような感覚があった.
以下,実際の対話の内容である.(多少間違っている表現もあると思います.また,内容によっては少し脚色を加えております.)
・高齢の親戚が最愛の人を亡くした.靖国神社への参拝をしたいと願っている.国によって作り出された物語の力によって,辛い現実との折り合いをつけようとしている.
・物語の作者は誰か?
・日本とインドネシアはどちらも災害大国.インドネシアは宗教への加入が義務づけられているらしい.喪失に対する立ち直りは,日本よりもインドネシアの方が早い傾向にあるそうだ.
・物語は人によって支えになるが,行きすぎると「毒」にもなる.(例:推し活,政治活動等)物語は麻薬.
・幼少期信じていた物語は,いつの間にか信じなくなっている.目が覚める時が来る.(「亡くなった人が「星」になって空から見ている」「いい子の元にはサンタクロースがくる」など)しかし,みんなが信じている物語からはなかなか離れることができない.
・理不尽な対応を受けてきた職場から距離を置いた.辛い状況を耐え続けるという未来の物語を選択することもできたが,「降りる」ことを決断した.
・物語には個人の物語(私が主人公の,私だけが信じている)と集団の物語(みんなが信じている)が存在する.図にするとベン図のようになる.あまりに集団の物語に寄りかかり過ぎてしまうと,個人とのズレが現れ不具合が起きてしまう.
・性格診断(血液型や今流行りのMBTI診断など)もひとつの物語.「私は,〜だから」という表現で自己理解,他者理解がなされる.
・私にとって,人生は物語.これまでやってみたくてもできなかったことに,一歩踏み出すことによって動き出すものもある.
・物語のない世界は特に退屈.私たちは無意味の世界の退屈さに耐えることができない.物語なしでは生きていけない.
・知人が人生のどん底を経験した.救いのない状況であるにも関わらず,元気で明るく振る舞っている姿を見て,「なぜ,そんな生き方ができるの?」と聞いた.すると「私は私の人生を映画みたいに楽しんでいる」と返ってきた.
・「あのころはフリードリヒがいた」という作品の中では特別な事件は起こらない.日々の出来事が淡々と描かれており,何でもない日常の中でどこか悪い方向に向かってしまう様子が表現されていた.実際のリアルな日常も,実はこんなものなのかもしれない.「意味」などないのが本当なのではないか.
・物語の悪い側面ばかりが場に出されているけど,逆にいい側面はないの?
・戦争で旦那を亡くしたおばあちゃんたちが多く住んでいる土地に生まれた.周りはおばあちゃんばかり.彼女たちは毎日のようにおしゃべりを営み,「お互い様」の物々交換によって心を豊かにしていた.とにかく楽しそうに過ごしていたことを今でも覚えている.
他にも,思わず聞き入ってしまうような言葉たちが本当にたくさん落とされていた.今日この場に,無数の視点と思いも寄らなかった気づきたちが次々と生まれていたことを肌で感じた.特に「物語」についてそれぞれが「物語」り,それぞれの個の背景に無数の「物語」が流れ始めたことに,この時間の価値を感じることとなった.
●次回は、21日(日)9時20分〜、八木山市民センターにて!
📚あおぞらの輪📚
#対話 #思考 #関係 #場 #物語
私たちの背後には,無数の物語が河川のように流れている.その物語たちの潮流は,それこそ普段は意識の底に隠れている.しかし時折,私たちが認識している世界を「意味」によって色付け,私たちの意思・判断・決定を後押ししてくれる.本来は無意味であったはずの世界に色が灯り,私たちを一時「退屈」から解放してくれる.自分の選択に対する納得感を支えてくれている.世界が退屈なものではなくなる.
しかし一方で,物語は私たちを縛りもする.私たちは私たちの信じている物語からなかなか降りることができない.周囲の人間たちが信じていたらなおさら.「家族」や「友達」,「職場の同僚」などは最たるものであろう.物語は繋がりの中で強度を帯び始めた時,それはコミュニケーション上の「価値観の押し付け」に様相を変えていく.「普通」「常識」「当たり前」「前提」似ている言葉はたくさんあるが,そんな言葉たちに傷を受けてきた人たちは少数ではないだろう.逃れることすら許されず,心と身体を置き去りになってしまうケースを何度も見てきた.
「物語」は人を、しあわせにするのか?
年月をかけて,人と向き合い続けてきた高校時代からの友人Oくん.いつもよりも大所帯の参加者たちに向けて投げかけた問いである.朝井リョウさんの「メガ・インザ・チャーチ」()を読んでいる内に,みんなに問いかけてみたくなったらしい.今回の哲学対話は,たっぷり1時間程度,この問いを中心に対話を行った.それこそ全員で,深い海の中を潜水するような感覚があった.
以下,実際の対話の内容である.(多少間違っている表現もあると思います.また,内容によっては少し脚色を加えております.)
・高齢の親戚が最愛の人を亡くした.靖国神社への参拝をしたいと願っている.国によって作り出された物語の力によって,辛い現実との折り合いをつけようとしている.
・物語の作者は誰か?
・日本とインドネシアはどちらも災害大国.インドネシアは宗教への加入が義務づけられているらしい.喪失に対する立ち直りは,日本よりもインドネシアの方が早い傾向にあるそうだ.
・物語は人によって支えになるが,行きすぎると「毒」にもなる.(例:推し活,政治活動等)物語は麻薬.
・幼少期信じていた物語は,いつの間にか信じなくなっている.目が覚める時が来る.(「亡くなった人が「星」になって空から見ている」「いい子の元にはサンタクロースがくる」など)しかし,みんなが信じている物語からはなかなか離れることができない.
・理不尽な対応を受けてきた職場から距離を置いた.辛い状況を耐え続けるという未来の物語を選択することもできたが,「降りる」ことを決断した.
・物語には個人の物語(私が主人公の,私だけが信じている)と集団の物語(みんなが信じている)が存在する.図にするとベン図のようになる.あまりに集団の物語に寄りかかり過ぎてしまうと,個人とのズレが現れ不具合が起きてしまう.
・性格診断(血液型や今流行りのMBTI診断など)もひとつの物語.「私は,〜だから」という表現で自己理解,他者理解がなされる.
・私にとって,人生は物語.これまでやってみたくてもできなかったことに,一歩踏み出すことによって動き出すものもある.
・物語のない世界は特に退屈.私たちは無意味の世界の退屈さに耐えることができない.物語なしでは生きていけない.
・知人が人生のどん底を経験した.救いのない状況であるにも関わらず,元気で明るく振る舞っている姿を見て,「なぜ,そんな生き方ができるの?」と聞いた.すると「私は私の人生を映画みたいに楽しんでいる」と返ってきた.
・「あのころはフリードリヒがいた」という作品の中では特別な事件は起こらない.日々の出来事が淡々と描かれており,何でもない日常の中でどこか悪い方向に向かってしまう様子が表現されていた.実際のリアルな日常も,実はこんなものなのかもしれない.「意味」などないのが本当なのではないか.
・物語の悪い側面ばかりが場に出されているけど,逆にいい側面はないの?
・戦争で旦那を亡くしたおばあちゃんたちが多く住んでいる土地に生まれた.周りはおばあちゃんばかり.彼女たちは毎日のようにおしゃべりを営み,「お互い様」の物々交換によって心を豊かにしていた.とにかく楽しそうに過ごしていたことを今でも覚えている.
他にも,思わず聞き入ってしまうような言葉たちが本当にたくさん落とされていた.今日この場に,無数の視点と思いも寄らなかった気づきたちが次々と生まれていたことを肌で感じた.特に「物語」についてそれぞれが「物語」り,それぞれの個の背景に無数の「物語」が流れ始めたことに,この時間の価値を感じることとなった.
●次回は、21日(日)9時20分〜、八木山市民センターにて!
📚あおぞらの輪📚
#対話 #思考 #関係 #場 #物語



