シャトル拾いの哲学、あるいは人生の機微

女性・初心者 沢山います^^ 【東京バド】
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バドミントンをしていて、ふと「シャトル拾い」って奥深いな、と思うことがあります。コートの隅に転がったシャトルを拾う。たったそれだけの行為ですが、そこに人生の縮図が垣間見える気がするんです。 まず、シャトルを追いかける姿勢。諦めずに最後まで追いかけるのか、それとも「もう無理」と潔く諦めるのか。これは、仕事でもプライベートでも、直面する様々な選択と似ています。無駄な努力をしないことも大事ですが、ほんの少しの粘り強さが、意外な結果を生むこともありますからね。 次に、拾ったシャトルをどうするか。誰かが落としたものを拾う、というのは、困っている人を助ける行為に似ています。もちろん、自分のミスで飛んでいったシャトルを拾うこともあります。そこには、自分の過ちを認め、次に活かそうという反省の念も含まれるでしょう。 そして、意外と見落としがちなのが、拾ったシャトルをコートの端にきちんと置く、という行動。これは、整理整頓、あるいは社会のルールを守る、といったことにつながります。自分だけでなく、次にプレーする人のために、ちょっとした気遣いをする。そんな小さな積み重ねが、快適な環境を生み出すんですよね。 もちろん、これはあくまで私の勝手な解釈です。でも、バドミントンというスポーツは、単に体を動かすだけでなく、色々なことを考えさせてくれる、そんな魅力があると思っています。次にシャトルを拾うとき、少しだけ、この「シャトル拾いの哲学」を思い出してみてはいかがでしょうか。