シャトルを追いかける日々の尊さ
最近、無性にバドミントンがしたくなる時がある。別に大会に出るわけでも、プロ選手みたいにすごいプレーを目指してるわけでもない。ただ、あのシャトルを追いかける時間が、なんだかとても尊く感じられるんだ。 大学のサークルで始めたのがきっかけだった。最初はみんな初心者で、ネット越しにボールが相手コートに届くだけで拍手喝采。そんな初々しい頃もあったなぁ。卒業してからも、地元の社会人サークルで細々と続けている。 仕事で疲れていても、コートに立つと不思議と体が動く。汗をかいて、息を切らしながら、シャトルを打つ。あの「パシン!」という乾いた音、風を切って飛んでいくシャトルの軌道。それらが日常のモヤモヤを吹き飛ばしてくれる気がするんだ。 たまに、初めて会う人とペアを組むこともある。最初はぎこちないけれど、ラリーが続くと自然と声が出て、「ナイス!」とか「カバーします!」とか、コミュニケーションが生まれる。バドミントンって、言葉がなくても通じ合える、そんな不思議な力があると思わない? それに、最近はダイエット目的で始める人も増えているらしい。全身運動だから、確かに効果はありそう。でも、それ以上に、純粋に「楽しい」から続けられるんじゃないかな。勝利の喜びも、ミスした時の悔しさも、全部ひっくるめて、あのシャトルを追いかける日々が、今の私には何よりも大切に思えるんだ。