シャトルに込められた、あの日の汗と涙
バドミントン、やってますか? 今日はちょっと、普段とは違う視点からバドミントンについて語ってみようと思います。それは、「シャトル」について。 ラケットやシューズにお金をかける人は多いけれど、意外とシャトルって、なんとなく「そこにあるもの」って思ってませんか? でも、あの小さな羽一本一本に、私たちのドラマが詰まっているんです。 私が初めてバドミントンを始めたのは、高校の部活でした。毎日毎日、基礎練習に明け暮れる日々。素振り、フットワーク、そしてひたすらシャトルを打つ。最初はまっすぐ飛ばすのも一苦労で、空中を舞うシャトルを追いかけるだけで精一杯でした。先輩に「もっと回転を意識しろ」「ラケットの芯で捉えろ」と散々言われたっけ。あの頃の、必死にシャトルを追いかけていた自分の姿が目に浮かびます。 大会で負けた時、悔しさで地面に落ちたシャトルを拾い集めたこともあります。逆に、試合に勝った喜びで、思わずシャトルを宙に放ってしまったことも。あのシャトルは、私たちの勝利の証であり、敗北の悔しさの象徴でもありました。 社会人になって、サークルでバドミントンを再開した時も、シャトルは変わらずそこにありました。初めて会う人たちと、同じシャトルを追いかける。言葉を交わさなくても、シャトルを介して通じ合える瞬間がある。それは、ちょっと不思議で、温かい体験でした。時には、ガットが切れたラケットよりも、練習で使い古したシャトルのほうが、愛おしく感じてしまうこともあったり。 今でも、練習の合間にふとシャトルを見つめると、あの頃の自分が蘇ってきます。あの頃は、ただただシャトルを上手く打つことだけを考えていたけれど、今ならもっと、シャトルに込められた時間や、共に汗を流した仲間との思い出を大切にできる気がします。 皆さんも、次にシャトルを打つ時、ちょっぴりシャトルに意識を向けてみてはいかがでしょうか? もしかしたら、あなたの知らない、新しいバドミントンの魅力が見つかるかもしれませんよ。