シャトルよ、なぜ君はそんなに私を翻弄するのだ?
バドミントンを始めて早一年。体力はついたし、何よりあの、ラケットにシャトルが当たった瞬間の「パシン!」という小気味良い音と、シャトルが弧を描いてコートに落ちる爽快感に、すっかりハマってしまった。でも、一つだけ、どうしても理解できないことがある。それは、シャトルという存在そのものだ。 あんなに軽いのに、風の影響を受けやすい。ネット際での微妙なタッチプレーでは、ほんの少しの力加減で大きくコースが変わる。ドライブを打てば、予測不能な軌道で相手を翻弄する。スマッシュを打てば、あっという間にコートの隅に消えていく。まるで、意思を持った生き物みたいじゃないか。 練習のたびに、私のシャトルとの格闘は続く。今日は真っ直ぐ飛んでくれたと思えば、明日は急にカーブして壁に当たったり。先輩は「シャトルの気持ちになって打つんだよ」なんて言うけれど、シャトルの気持ちなんて、一体どうやって分かるっていうんだ。もはや、シャトルとの会話を試みているかのようだ。 それでも、この予測不能さが、バドミントンの面白さでもあるんだろうな。完璧にコントロールできたときの喜びは、何物にも代えがたい。いつか、シャトルを意のままに操れる日が来るのだろうか。いや、きっと来ない。だからこそ、この「シャトルとの駆け引き」を、これからも楽しんでいこうと思う。次回の練習も、シャトルよ、君との甘くも苦い戦いを、覚悟しておけ!
